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忘れられない思い出①|イスタンブールの日々

  • 執筆者の写真: 李雁コーチ
    李雁コーチ
  • 4月19日
  • 読了時間: 2分

時の流れは早く、戻ることはありません。

多くの出来事はすでに記憶から消えてしまいましたが、トルコで過ごしたあの美しい日々だけは、今でも時折ふと思い出し、忘れることができません。


これまで多くの国を訪れ、数えきれないほどの都市を見てきましたが、最も印象に残っているのはイスタンブールです。それは美しさと神秘に満ち、どこか哀愁を帯びた街でした。

かつてのオスマン帝国は、その領土の約95%がアジアにあり、5%がヨーロッパに広がっていました。現在はヨーロッパの一部とされていますが、実際にはアジア的な文化を色濃く残しています。


1990年代、私は中国ナショナルチームの一員として、トルコ・イスタンブールに派遣されました。当時はすべて国家チームの派遣であり、自分の意思で選択する余地はほとんどありませんでした。所属したのはエフェス・ピルセン(Efes Pilsen)ビール会社の卓球クラブです。私はボスポラス海峡大橋のアジア側に住んでいましたが、練習や試合、会社へ行くためにはヨーロッパ側へ渡る必要がありました。卓球、ランニング、トレーニングの合間に、毎日のようにアジアとヨーロッパを往復し、多い日には10回以上行き来することもありました。当時、この生活は『人民日報海外版』に「欧亜を最も頻繁に往復する人物」として紹介されたこともあります。


生活は決して楽ではありませんでしたが、それ以上に大きな収穫がありました。その年の年末には、トルコ国内において「最優秀外国人選手」に選ばれることができました。また幸運にも、トルコを代表するトップ選手や、三度のオリンピック金メダルを獲得した“神童”スレイマンと共に、当時の大統領トゥルグト・オザル氏に謁見する機会にも恵まれました。これは、私の人生の中でも特に印象深い出来事の一つです。


イスタンブールという街の魅力は、その多様性にあります。

世界で唯一、モスク、教会、そしてディスコが共存する街。多様な夜の文化が交差し、独特の空気を生み出しています。中でもカドゥキョイ(Kadıköy)は、北京で言えば王府井、西安で言えば鐘楼のような場所であり、私たち三人の若い卓球選手にとって、最もお気に入りの場所でした。


次回の記載は近日中公開予定、お楽しみください。

画像1(当時トルコ選手との一枚です)


 
 
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